オリンピックおじさん逝去 悲しみの中にも応援秘話続々と!

五輪

オリンピックおじさん」の愛称で知られる山田直稔(やまだなおとし)さん(92)が、3月9日に心不全で亡くなりました。

羽織袴黄金のシルクハットという派手な出で立ちでオリンピック会場を賑わせていて、その姿に選手たちも親しみを感じていたといいますこれまで。

そんな山田さんのこれまでの経歴や活動、オリンピック応援活動の秘話など調べてみました。

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オリンピックおじさんのプロフィール

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引用:http://www.naniwa1001.co.jp

本名、山田直稔(やまだなおとし)。

山田さんは、富山県出身の実業家。

1926年4月16日生まれ。

富山市立工業学校(現・富山工業高校)を卒業後、日本大学工学部を卒業。

1960年にワイヤーロープ卸売業の浪速商事を設立。

ホテル業、不動産業とビジネスの幅を広げ、現在は同グループ会社の会長を務めていました。

オリンピック観戦の経歴

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引用:https://www.asahi.com

山田さんがオリンピックを初めて観戦したのは1964年の東京大会、38歳の時でした。

それ以来、夏季オリンピックを14大会冬季オリンピックが98年の長野大会に駆け付けました。

1980年のモスクワ大会では、日本を含む西側諸国が選手派遣を見送る中、山田さんは現地で観戦し、ロシア語で「ミルユードルジバ(平和と友好)」と叫んだといいます。

そして2016年のリオデジャネイロ大会では、治安の悪さと高齢を理由に周囲から渡航を止められていたにも関わらず、現地での観戦を強行する気合の入りっぷり。

山田さんは2020年の東京オリンピックも当然のことながら楽しみにしていたそうです。

悲しみの声

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引用:https://news.biglobe.ne.jp

スポーツ会からは悲しみの声が上がっています。

過去4度オリンピックに出場した卓球の福原愛さんは「観客席にオリンピックおじさんを見つけると、異国の地でもほっとしたのを覚えている。大きな大きな声援、ありがとうございました」とコメント。

女子レスリングの吉田沙保里さんは「突然の訃報に驚いている。会場でお見かけした時には勇気をもらっていた。今度は一緒に東京オリンピックの会場で応援できると思っていたのでとても残念」としています。

また日本レスリング協会会長の福田富昭さんは「オリンピックに毎回駆けつけ、様々な競技を応援する姿と熱意に、こんなすごい人がいるのかと驚いたのを覚えている。先日、何かの会合でお会いしたときはお元気そうだったのに」と山田さんの死を惜しみました。

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冬季オリンピックには行かない!?

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引用:http://www.asahi.com

1964年の東京大会以来、14回の夏季オリンピックを観戦した山田さんでしたが、冬季オリンピックを現地で観戦したのは98年の長野大会1回だけだそうです。

山田さんが冬季オリンピック不参加なのには理由がありました。

こちらも親族の方の話で、一番は寒いのが苦手なんだそうです。

暑いのはどれだけ暑くても平気とのことで、それは応援している格好からもわかりますね。

さらに、スキージャンプは応援が届かないし、スケートは応援の声で選手の気を散らしてしまう。『選手にマイナスになってしまう応援はしたくない』と話していたそうで、山田さんなりの心遣いがあってのことだったようです。

あの帽子にはこんな秘密が・・・

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引用:https://www.iza.ne.jp

山田さんのトレードマークといえば、大観衆の中でもひときわ目立つ黄金のシルクハットが記憶に新しいところです。

価格はなんと10万円もするというのですが、ある秘密があるといいます。

高さのある帽子でスーツケースに入れるのが大変だそうで、持ち運びには上から押さえてペチャンコにするとのこと。

取り出して下から押し上げると、またポンと元の高い帽子に戻る仕組みになっているそうです。

「そういうことなんだよ」と得意気に話していた山田さんなのでした。

こんなこともしていた!?

山田さんの親族の方の話しですが、現地でこんなこともしていたそうな。

五輪会場で毎回きれいな日本の5円玉と、使用済みの切手を子供たちに配ったりしていたそうです。

今となってはなぜそのようなことをしていたのか知るすべはありませんが、山田さんとしては友好の証だったのでしょうね。

選手同士がユニフォームを交換したり、オリンピック選手同士でバッヂを交換するのと同じ感覚でしょうか。

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最後に

山田さんは生前、東京オリンピックは自身の集大成と語っており、東京オリンピックを機にオリンピック観戦から身を引こうと考えていたのかも知れません。

もしその通りだとすれば、次の東京オリンピックの会場に行けなかったことは山田さんにとって無念だったに違いありません。

思えばテレビ越しに山田さんを見かけると「あのおじさんまたオリンピック行ってる」と話題になっていたことが昨日のように思い出され、客観的にそのオリンピックにかける思いが伝わってきていました。

これから東京オリンピックを目指される選手の皆さんには、そんな熱い思いを持った人がいたことを思い出し、これからの競技に取り組んでいただきたいと思います。

それが一番の供養になることでしょう。

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